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マサトヰシグロシャムロック「G」@100年の共産党

グラビアアイドルのDVDをレビューしていくブログ。

最上ゆき「支配妄想」(イーネット・フロンティア、監督:上村知之)

 柏木美里「放送禁止」を紹介した項で一部引用したみうらじゅんリリー・フランキーの「グラビアン魂」(『SPA!』7月19日号)ではこんなくだりがある。

 リリー「(前略)前にもグラビアがどんどん過激になっていないか、という話をしたじゃないですか」
 みうら「そのときは、AVとの境目がだんだんわからなくなってきてるってことと、過激なことを『してもいい人』と『しなくていい人』がいるって結論だったよね」
 リリー「(前略)彼女(柏木=引用者注)のエロは、すごく過激だけど、腹が立ったり、観る側に『下品だ』と思わせたりはしないんですよ。それはたぶん、演じる能力が高いおかげだと思うんですけどね(後略)」

 2人はサラッと語りのけているけど、非常に示唆に富んだやりとりだと思う。ここで出てくる「AV」という文言は、「着エロ」と言い換えてもいいだろう。シンプルに言えば、演技力で作品の質を高めるということ。普段、何気なく見ていたIVがそれほど含蓄あるものだったとは…と目からうろこが落ちる思いだ。創作、表現作品ということで確かに根は一緒であるのだけど。

 そういう話をいろいろ考えていたところに、先日購入して見たのが「支配妄想」である。この作品を初見したとき、ふいに頭をもたげたのは「これは着エロなのか、そうでないのか」という思いだった。

 あらすじはこうである。大学生である最上ゆきは、自身の学費を捻出(ねんしゅつ)するために友人から紹介されたモデルのアルバイトを引き受ける。決して軽い気持ちで受けたバイトではなかったろうが、依頼者のカメラマンの要求は彼女の弱みにつけ込むようにどんどんエスカレートしていく。
 
 カメラマンの要求の詳細は、苛烈を極める。用意していた服装は体操着、ナース服、OLの制服にボンデージ…とさまざま。それらに着替えさせ、次々と卑猥(ひわい)なポーズを取らせる。M字開脚は当たり前、OLルック(眼鏡つき)のときには自慰行為をやらせるのには度肝を抜かれた。
 さらに風呂場で最上の体を愛撫しているのは、むくつけき男性(おそらくカメラマン)の節くれた手指である。こういったIVでモデルの体を触るのは女性の手という暗黙の了解すら、本作品は凌駕(りょうが)している。一方では2本の飴、棒アイスやホイップつきのバナナを各シチュエーションごとに最上の口に突っ込み、無理やり舐めさせるのだった。

 こう書き出してみると、救いようのない着エロIVにしか思えないかもしれない。そうした作品の抗い難い流れに歯止めをかけたのが、何あろう最上のモデルとしての佇(たたず)まい、そして演技である。

 過酷な演技を要求される中にあっても、最上の演技は一貫していたと思う。それは、彼女の表情の演技に端的に表れている。
 理不尽ともいえるカメラマンの要求に対して、最上はずっと無表情、もしくは嫌がるような表情をずっと浮かべながら、淡々と開脚や四つん這いなどのポージングをこなしているのだ。こうした姿勢を通したことで、ややもすれば凡百の着エロ作品に堕してしまうような内容に一種の「格」をつけることができたように私は思う。物語に一本の芯を通したというか。
 カメラマンは、「嫌な思いをしたくなければ、友人を紹介しろ」と最上に迫る。しかしボンデージ姿の最上は、友人を売りたくないという気持ちと葛藤しながらバナナをくわえてみせる。結局彼女はカメラマンに屈して、「不幸の手紙」式に友人を紹介してしまうのだが、そこへ至るまでの演技の重さにより、見る側の私としてはそういう結末に導いた説得力が非常にあったと思う。
 
 また私が感情移入して見られた要因は、最上の容ぼうによるところも大きかったように振り返っている。長くてストレートの黒髪、クールな顔立ち、すらりと長い手足…。まるで純文学の青春小説から抜け出たような容ぼうの彼女が演じたからこそ、作品の持つ悲劇性をより引き出すことに成功したのではないかと、勝手に考えている。

 何にせよ、最上ゆきは将来が楽しみなグラビアアイドルである。あのほしのあきインリンだって、「着エロ」と一刀両断されるようなグラビアを展開しながら一躍トップを張るようになったのだから…。
 それにしても、特典映像での最上のグッタリした笑顔は印象に残った。すべての撮影を終えた彼女は、視聴者に向けて「いっぱい妄想してください」と力なく笑う。そのプロ根性には、真っすぐに胸を打たれた。