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マサトヰシグロシャムロック「G」@100年の共産党

グラビアアイドルのDVDをレビューしていくブログ。

「反AKB」の旗頭・西田麻衣の反撃

 グラビア愛好家にとっては説明など全く不要であろうグリコ「ドロリッチ」のCM西田麻衣が出演しているのには、個人的に胸熱であった。大手事務所の中村静香(オスカー)や丸高愛実(エイベックス)、アイドルコンテストのタイトルホルダーである柴小聖日テレジェニック)や遠野千夏(ミスFLASH)を差し置き、堂々とCMのトリを飾ってセクシーポーズを決めていたからである。

 こういう書き出しは、まさにグラビア愛好家が読んだら違和感を覚えるかもしれない。今年23歳、デビュー7年目の西田は、リリースしたDVDが2007〜09年と3年連続で売り上げナンバー1を記録した実績の持ち主。その触れ込みで「ダウンタウンDX」にも出演した。いわば今でいう吉木りさのポジションに君臨していたのである。
 ただし個人的にみる限りでは、ここ2〜3年はかなりの苦戦を強いられていたと思う。目の肥えた層からはIVのマンネリ化を指摘され、ほしのあき熊田曜子小倉優子優木まおみといったベテランの高い壁を越せずにいるうちに吉木があれよあれよのブレーク。それと時期を同じくして秋元グループが雑誌のグラビア枠をまさに植民地支配に置く状況となり、既成グラドルは剣が峰に立たされることになるのだが、ここでは西田に絞って話を進める。

 先ほど苦戦と表現した西田の「2〜3年」だが、全く沈黙していたわけではない。
 2010年春の「ロンドンハーツ」ではドッキリ仕掛け人としてフルーツポンチ村上をだました。そして同年、なんと山田洋次が監督(阿部勉と共同)の「太秦青春物語」に4番手クラスで出演を果たした。昨年秋はビールのCMで「私のホルモン食べてください!」と印象的なセリフを発していた。もちろんIVも年3〜4本ペースでリリースし続け、通算24本に達している。ではあるが、そうした各方面への展開もすべて単発どまりだった印象がある。

 ちょうど1年前の『アサヒ芸能』(2011年11月17日号)の「天才テリー伊藤オフレコ厳禁対談」に出演した西田は、「グラビアの枠も全然減っちゃったんですよ」と切り出す。テリーがほしのや小倉の結婚により「グラドルの上の方が空いてきたじゃない」と返した直後、グラビア史に残る「AKB批判」を展開した。

 「でも、やっぱりAKBなんですよね。コンビニに行ってパッと見ると、どの表紙も」
 「(AKBに会ったら言いたいことは)1人で対決してくださいって言いたいです。複数で表紙とかに載られちゃうと、ひとりひとりのファンの方がおられるわけで、それだけの人がその表紙を買うじゃないですか。私たちは1人で勝負してるので、不利というか…」

 この対談からちょうど1年たつが、私のチェックした限り、後にも先にも当事者の立場からここまで明確に秋元グループをメディアで批判したグラドルは、西田ただ1人である。

 さて「AKB批判」以後の西田であるが、その直後の時期にグラビアの老舗メディア『ヤングマガジン』に初登場する。それまで出ていなかったのは、西田がライバル誌『ヤングジャンプ』の常連だったこととの絡みだろうが、ヤンマガデビューは巻末の扱い。西田のリスペクトするほしのがヤンマガ初登場のときは巻頭・巻中10ページという高待遇だったのに比べれば、明らかに扱いが低いものだった。
 さらに2度目の登場(12年1月)ではまたも巻末。しかもその号の巻頭は前田敦子、巻中は指原莉乃とAKB48の一線級メンバーがそろい踏みしており、「AKB批判への報復か」と思った。もちろん偶然だろうが。

 しかし西田のグラビアの評判が良かったということなのだろう、いつ決まったかは分からないが、ヤンマガの出版元である講談社から10月、6冊目の写真集『まいぷりんあ・ら・もーど』が発売の運びとなった。これを記念して同月、ヤンマガでもついに巻頭グラビアを飾る。西田にとっては、まさに1人の力で雌伏の時を乗り越えた瞬間であったろう。かつて西田を巻末へ追いやっていた前田、指原が既にAKBにいないというのも何かドラマ性を感じる。まあその2人は依然として西田とは比較にならないほど仕事入りまくりではあるが。

 ともあれ写真集の発行に続いての「ドロリッチ」CM出演。「テレビにいっぱい出ること」「全局制覇」(前掲『アサヒ芸能』から)という西田の悲願達成への力強い第一歩といえよう。IV界のトップランナーから、目が離せない。